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1級への挑戦(前編)
[ 2005年8月24日 ]
 2005年7月24日日曜日。夕刻の中央線の下り電車の中で、試験が終わったという安堵感で心の中は満たされていた。結果なんてどうでもよかった。最後の最後まで問題をよく読んだ。だから悔いはなかった。

 永年感じていた不足感。2級建築士を取ってから10年の間、新たに1級建築士を目指すというチャレンジ精神と、仕事が忙しいから・・・と言って『いつか受けるよ』と避けてきた心の葛藤。『2級をもっていればそれでいいじゃないか』他人に相談をすれば、こう言われては自分を納得させていた。

 昨年の10月、日建学院の担当者から毎年この時期になると声が掛かっていたが、ついにその年、決心をした。37歳の誕生日を迎えた秋のことである。

 『年々難易度も上がり、受験者の多くは苦戦を強いられ・・・・・』説明会では、そんな厳しい『脅し』から始まる。12月までの間は、計算問題など基礎的なところから課題が出された。大学は理系であったので数字や公式などに対するアレルギーは無かったが、普段、仕事―休日―飲み会という日常生活ですっかり錆び付いた脳の歯車は、ギシギシと音をたて、計算機を使わないで行う足し算や引き算をするのにも時間がかかった。また記憶をする脳の引き出しの中は、趣味や雑学といった不要なもので一杯にあふれておりテキストの中身が入いるスペースを作る必要があった。

 1月に入ると本格的な講義が始まった。教室を見渡せば、自分より若い本気モードの人たちが一緒に受講していた。毎回行われる小テストでは、結果が貼り出さられるが順位は下から数えたほうが早かった。

 高校、大学と人に自慢出来る程の学校には行っていなかったが、成績は悪くなかった方だと自負している。10年前に2級建築士をめざしてこの学校に通っている頃も成績は良かった。そうした自信が僕の場合、性格上とても重要で、ますます効率が良くなるのである。しかし、成績表を見る限り、劣等感からモチベーションが下がりいっこうに効率が良くならない。ちなみにこの性格は、好きなゴルフにも共通している。

 3月になるとテキストの8割が終了しているが、ボリュームはかなりの量である。成績は相変わらず下の方で、そろそろ定位置化してきた。成績不振について言い訳は山ほどあった。しかし、それは皆同じである。ようするに『勉強不足』これに尽きる。試験科目は、計画、構造、法規、施工の4科目。一つ憶えれば、一つ忘れていく。脳について研究している学者の方々はこう言うだろう。『人間は脳機能について普段、数パーセントしか使っていないのだ』 

 テキストを読み、頭をかく。どうやれば憶えられるのだろう・・・しかもこんなに沢山のことを。

 5月に入りテキストはすべて終了した。都合がつかず休むこともあったが、学校には通った。宿題もすべてやり遂げた。あとはどれだけ自習ができるか。どれだけ効率よくできるか。1級建築士の知り合いを訪ねては当時の勉強の仕方(成功例)を聞いて回った。軽やかな会話の中に、合格までの道のりについてそれぞれの苦労話は生々しかった。壮絶という言葉は決して言い過ぎでないと思う。

 6月は、いわばラストスパートに入る。何回も同じ問題を間違える。過去の問題を記憶してしまい、結果として少しひねった問題に対応出来なくなる。試験まで1ヶ月のところで勉強の方法を変えた。問題中心ではなくテキスト中心に第1章からやり直した。この作業にはとても時間を費やした。しかし、このころから少しずつ成績に変化が現れた。今までは、平均して点数が取れたり取れなかったりしていたのが、出来るところと、出来ない箇所がはっきりしてきたのである。点数は上がらないものの、間違えた箇所が明確になり点数に納得するようになってきた。こんな時に限って、仕事も忙しくなっていく。またどうしても参加しなければならない行事なども多くなる。

 効率は上がってきたが、今のペースでは、試験日までにテキストを終わらせることが出来ない。あせりと不安から仕事の効率までもが悪くなってしまう。

 試験の3日前の小テストで点数も良く上位に上がったものの、試験に対する『手応え』がどうしても感じられない。合格しているイメージがどうしても浮かばないのだ。前日の夜はまさしく受験生の心得等、その心情たるものは10代の頃に若返っていた。明日はいよいよ決戦の日である。

(後編へつづく)