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1級への挑戦(後編)
[ 2005年9月15日 ]
 7月24日試験当日。天気は曇り。受験票を手にして、試験会場である日本大学理工学部に向かった。1時間以上も早く着いてしまったので近くのコーヒースタンドに入って気持ちを落ち着かせようと思った。店に入った瞬間、異様な光景だった。そこはまさしく図書館の自習室状態でみんな必至に勉強していた。なかには分厚いテキストを4冊テーブルに積んでいる人もいた。

 もしも1級建築士の人が純粋にコーヒーを楽しむためにこの店に入ってきたとしたら何とも言えない優越感を味わえるのではないだろうか。きっとその人は他人には見えないタスキをしていることだろう。(わたしは1級建築士です) と書かれたそれを。

 そう言う私も落ち着かないのでノートを眺めるものの、気休め以外の何者でもなかった。本試験は午前中2科目、午後2科目で4科目を6時間。25問ずつ計100問。

 試験が始まると鉛筆を持つ手がふるえた。エアコンが利きすぎて私には少し寒いくらいだったが、背中と脇に汗をかいた。その汗が冷えてわずかな悪寒を感じる。何度も深呼吸を口でしながら、問題をゆっくり読んでいった。午前中の試験は思いの外、出来たような気がした。

 (あとは午後の2つ)

 3時間も座っていると、すっかり場の雰囲気には慣れていった。1時間の昼休みはあっという間に過ぎて行き、午後の試験が始まった。

 3科目の構造は、本当に良く出来た。自信がわいた。しかし、4科目の施工で鉛筆がとまった。(落ち着け 落ち着け)何度も読み返す。25問のなかで自信があるのは9問。残りが分からない。五者択一のなかで残り2つまでは絞れる。だけど決定的ではない。ボーダーラインは13点以上。あと4点あれば。

 幸い時間は余っていた。とにかく問題を読んだ。どっかに間違えがあるはずだから。刻々と時間は過ぎていき、やがて『やめ!』 試験官の声が響いた。

 下りの中央線のなかで、見えない縛りは解き放たれたが、その余韻が残り、解放された喜びはまだ無かった。

 その夜、速報により暫定的に不合格の知らせが届いたのは22時を少しまわったころだった。

 試験から2週間が過ぎた私の部屋には電話帳ほど貯まった練習問題が重なっている。蛍光ペンを4本使い切った。赤鉛筆は3本使った。消しゴムは丸く小さくなっていた。脳に中の歯車はすっかり滑らかになり、手計算はとても速くなった。記憶の引き出しには、テキストが一杯詰まっている。

 10年前に2級建築士を取った時から自分自身の中でずっと引きずっていた事。1級は取りたいが、またこんなに苦労しなければならないのか。そして、もしも落ちたらきっと恥ずかしいだろう・・・と勝手に思い込んで避けていた挑戦。『来年はどうするの?』と不合格を知らせた仲間たちに聞かれる問いに、今では明るく答えを返せる。『また来年やります!合格するまで。』
38歳の誕生日が過ぎると私のリベンジは始まる。沢山の人に応援して頂き、会社のスタッフにも迷惑をかけてしまった。皆さんのおかげで勉強ができた。本当に感謝している。有り難うございました。そして再び目標に向かって。

 そう・・・いつかあの見えないタスキを掛けている自分を夢見て。