4月の19日、20日に公私ともに親交深い仲間2人と京都を訪れた。
当日の天気は曇りから雨模様となっていた。平日でしかも震災の影響なのか観光客も少ない。
京都駅をおりタクシー乗ると現代建築の合間に長屋の佇まいを眺める事が出来る。東京とは明らかに違った車窓から、にわかにこの街に降り立った実感がわいてくる。
今回、宿泊したのは『炭屋旅館』
同行した友人のアレンジによるものだが、正直なところ私自身それほどまでに有名な老舗旅館だとは知りもしなかった。
聴けば大正時代創業の老舗名門旅館。予備知識もないままタクシーを降りると旅館から傘をもって宿の係りが出迎えてくれた。
門をくぐり出迎えの為に開かれた玄関引き戸までは雨でちょうど良く濡れた石畳のアプローチがとても美しく映った。
巨大な旅館とは違い、一人一人の客人を案内出来る広すぎず狭くもない玄関先に立つと、宿にも客を選ばれている緊張感さえ感じ取れる。
2階の部屋までの廊下から階段は、築100年以上経過しているからか、わずかに床鳴りがしているが、それがどこかとても懐かしく頬も緩んだ。
案内された部屋は、数寄屋造りの和室が2間あり花が生けてある。
また3畳ほどの着替えをする支度部屋や専用の檜風呂がある。
洗面とトイレへは2つの和室から入る事はできるユニークな作りになっている。
腰上の窓はすべて木枠で軒先から垂れている葦ず(ヨシズ)は風雨と不要な自然光を上手に制限している。その夜、春の懐石料理に仲間同士の会話も弾んだ。
翌朝、カメラを片手に館内を巡っていると女中さんが茶室を見せてくれると言った。
そのまま案内されるかと思いきや、『何時ころ観られますか』と聞かれ、時間を約束して改めて下に降りていくと、『どうぞ こちらでございます』と茶室に通された。そして着座していると茶室案内係りの男性がやってきて深々と挨拶を受けた。数寄屋造の茶室の中では裏千家の話、庭にある残念石の話はとても興味深かった。
茶室とは、おもてなしをする真正な場所である。立ち話やついでに案内される様な処ではないという事をこのとき初めて知った。43年も生きていて和の心に改めて触れた思いである。
現代建築において、和室を取り入れる事がとても少なくなってきた。
欧米スタイルの生活様式に慣れ親しんでいることや、和室を造るコストも理由の一つに上げられる。障子や襖、畳なども激減してしまった。
震災以降、ベニヤを含む合板の入手が困難な状況が依然として続いている。この旅で大徳寺の住職にお茶をたてていただく機会に恵まれた。その席で住職に説教を頂いた。その言葉をこのコラムの締めくくりとしたい。また、炭屋旅館のおもてなしの心に感動したことを加えておく。
『人間は一人では生きられない。この世に生を受けてからずっと大自然に生かされているのだと言う事を我々は忘れてはならない。すなわち大自然の恩恵を授かるのであればもっと国内の材木を使用して調和を考えるべきである。
格好の良い家ばかりを追い求めては決してならない。』