6月5日、6日の2日間で岩手県宮古市まで建築資材を運搬した。
この仕事の依頼主は武蔵村山市で注文住宅や建て売り事業を手掛けている(有)すまいの三貴さま。弊社の得意先である。
5月に社長である長沢氏が来社されて、身内が経営している岩手県宮古市内にある事務所が津波により被害にあってしまい、それを再建する為に木造平屋建ての材料の手配を依頼された。土台や柱などの構造材は当然の事、断熱材や建材一式である。とにかく現地には人、モノが不足しているとの事であった。
運搬にはユニック付中型トラックと3tトラックの2台。当初は私と木材部 飯泉部長の2人で1台ずつ乗り込む予定をしていたが、前日になって体力と道中の安全性を鑑みて急遽 建材部の斉藤さんと不動産部の宮城部長にも同行してもらう事になった。
6月5日日曜日
(出発の当日)
天候は曇り。出発は17時。東北道や途中の道の状況は一応良好と聞いていたが余裕をみてこの時間に行く事にした。現地到着は翌6日の8時を予定している。トラックは関越道〜東京外環自動車道を経由して東北自動車道に入った。道は日曜日の下りとあって空いていたが茨城県に入る辺りから雨が降り出した。遠くには稲光も見えた。
19:30
上河内SAにて夕食をとる。ドライバーはここで交代をした。20分くらいの休憩で出発。このあたりから道は永延と昇り坂になる。速度は80km。
勾配がきつい箇所では70km程しか出ない。
東京で満タンにしていった燃料は半分を切っていた。
21:00
福島県白川に入る。周囲の状況は暗がりで確認する事が出来ない。ただ道が波打っていてトラックは激しく上下に揺れ始めた。雨はすこし小降りになってきたようだ。二台のトラックは意図的に500m程車間を空けてひた走った。それによってお互い相方との衝突や接近しすぎる心配がなくなるためである。
福島県国見SAにて給油した。積載中のトラックではやはり航続距離は350キロくらいか。
22:30
トラックは宮城県に入った。目的地までのハードルを上げすぎたのか?
それともほとんど休憩なしだからだろうか。気持ち的には余裕が出てきた。
地図で見るかぎり宮城県はそれほど大きな県ではない。しかし、長距離を走りなれていない私にはここからがとても長く感じるようになってきた。
途中、蔵王の標識をみると小さな頃スキーをするために行った思い出が蘇る。
2:00
トラックは岩手県紫波SAに到着した。
東村山からおよそ520キロ。
順調に走る事が出来たのでここですこし仮眠をした。
4:30
東の空から朝焼けが見えてきた。予想通りトラックのなかでの仮眠は窮屈でほとんど出来ていない。5時に出発する予定だったがこの時間に出る事にした。
出発前に2度目の給油。
5:00
盛岡南ICを降りる。ここから宮古市内までおよそ90キロ。盛岡市内を走る限り地震の影響は見られなかった。コンビニエンスやガソリンスタンドも営業していた。市内を抜けると国道106号宮古街道の峠道をひたすら東に向かう。当然エンジンの回転数は上がりっ放しだ。右側に見える川の美しい風景に見とれていると震災の事を忘れてしまう程だ。
7:30
宮古市内に到着 オドメータは650キロを超えていた。海に近づくと、その光景に言葉を失った。あそこも・・・あれも、これも・・・みんな・・
震災からまもなく3ヶ月。その間、連日テレビに映し出される惨状に次第に慣れてしまっていたのだろう。いま目の前にある情景に改めて衝撃を受けた。
現場までの案内図を持ってきたが目印になるコンビニエンスもなく信号も付いていない。国道沿いにかろうじて残された建物の看板を確認して現在位置を把握する事ができた。現場には無事着く事が出来た。しかし達成感は無かった。
すこし早めに着いたので周辺を歩いてみた。波の音すらしない穏やかな海をみながら、ひとたびその姿が大きな牙を持ち、そしてするどい爪で陸地を襲った痕跡が360度の視界にあった。
(後半に続く)